斎藤先生と千鶴ちゃんの京都旅行

 




まあ当然と言っていいが、前夜に初めて体の関係になりそのまま京都旅行へと突入した斎藤と千鶴は、京都に着くまでずっと甘々だった。
基本、手はずっと恋人つなぎだし、何かあると(なくても)すぐお互いの顔を見てにっこり微笑む。
世間は冬の真っただ中で、冬の寒い京都でも体感気温は零度以下の日だったが、二人の周囲はすっかり春だ。

 京都の旅館は歴史のある有名な旅館だった。
純和風なのだがどこかモダンなインテリアにホスピタリティ溢れる男衆に仲居達。二人が案内された部屋は、寝室と居間の二つの部屋がある豪華な間取りだった。
「ごゆっくり」と仲居が立ち去った後、部屋をぐるりと見渡した千鶴は溜息をついた。
「素敵な部屋ですね……こんなすごい所に泊まったこと無くて、私……」
部屋の作りも置いてあるものもすべてが高そうで、にもかかわらず下品ではなくセンス良く飾られている。
 雪村家はまだ弟が小さいこともあり、家族旅行に行くとしても子供用の遊園地が併設されたファミリー向けの宿泊施設で、千鶴の和風旅館に泊まった経験と言えば高校の時の修学旅行くらいだ。
「修学旅行の時と全然違います」
千鶴の言葉に、コートを脱いでクローゼットにかけていた斎藤はぎくりと肩を揺らした。
そういえば千鶴が修学旅行に行ったのはつい最近なのだ。高校三年の春と言っていたから……去年ではないか。どちらかといえば引率する側の年齢の斎藤だというのに、こんなことをしていていいのか。
 斎藤の心の中に、またもや『オトナ』と『コドモ』のせめぎ合いが発生する。
『金にまかせて若い女性をこのような旅館に連れ込む中年男性』という斎藤の常識がちくちく自らを責める。

いや『中年男性』というのは言い過ぎだが、しかし旅館の人達の目には千鶴の若さや純粋さやあどけなさがわかるだろうし、そんな女の子を連れ込んでいる俺は一体どう見えているのか。
しかも、昨夜図らずもそういうことをしてしまったは言え、本来は今日、この場でそういうことをしようというわずかばかりの下心で……いや違う、下心しかなかったではないか俺は…!

人一倍自らに厳しい斎藤は、京都旅行を予約した時から今ここに来るまでの自分を振り返り一人静かに苦悩していた。
その時カバンを部屋の隅に置いていた千鶴が、呟いた。
「部屋にお風呂があるんですね。しかも露天風呂です……どうやって入ればいいんでしょうか」
「何?」
予約をしたのは斎藤だが、その時は部屋のグレードを聞かれただけで設備までは調べていなかった。千鶴の方へ向かうと、確かに寝室の先にある庭の部分が木でできたテラスのようになっており、そこに木製の……ヒノキだろうか?…の風呂があるではないか。しかも既にお湯が入っている。
外は寒そうだが簡単な板囲いがしてあり、ガラス戸もあるため開け放すと露天になる仕様だ。冬で葉があまりないが木々が植わっており気持ちよさそうな風呂ではある。
 気持ちよさそうではあるが、では実際どうやって入るのかと考えるとかなり厳しいものがある。この寝室で(外国からの客が多いからか、和風ベッドとでもいうのだろうか、かなり低いベッドが二つあり、既にベッドメイクされていた)服を……服を脱ぐわけだ、まず。当然昼間なら明るいし、夜でも電気はつけているだろう。風呂に入らない方は何をしていればいいと言うのか。服を着たまま相手が裸になって風呂に入っているのを見ているのか?それはさすがに気まずいがしかし、せっかく一緒に旅行に来たというのに、隣の部屋で一人テレビを見ているのもヘンな感じだ。では一緒に入れとでもいうのか。
困ったように赤くなって俯いている千鶴を見て、斎藤もいたたまれない気持ちになった。
「す、すまなかった。予約した時はそこまで調べていなかったのだ。もう少しいろいろなシュミレーションをしたうえで宿をとればよかったな」
自らを責めるチクチクがさらに強くなるのを感じながら、斎藤はしどろもどろにそう言った。
去年修学旅行に行ったような若い女性を、京都のこんな高級旅館に連れ込んで、さらにその上『さあ一緒に風呂に入るぞ』といわんばかりのこの部屋風呂……
こんなことをしでかしたのが自分だとは思いたくないくらい下品で自分勝手な男そのものではないか。
必死に『そんな下心などなかった』と言い訳したくてたまらないが、風呂は別にしても実際下心はあったので何も言えない。
 風呂にどうやって入るのかと気まずい思いをしている彼女に何か気が楽になる様な事を言ってやりたいが、あいにく斎藤自身もこの部屋風呂にどうやってはいれば双方気持ちよくはいれるのかわからないのだ。
しかももうすでにお湯が張ってあり暖かそうな湯気が出ている。これは要は旅館側のおもてなしで、『とりあえず一風呂浴びて旅の疲れをいやしてください』という事なのだろう。一五時チェックインで、夕飯は一八時から。まさに風呂に入っとけと言わんばかりのタイムスケジュールだ。
この旅館は京都の真ん中にあり観光名所も近いので、風呂に入らず夕飯まで外をぶらついてもいいのだが。
「……千鶴は、どうしたいだろうか?」
どうすればいいのかわからない斎藤は、とりあえず風呂にはいるか外をぶらぶらするかについて千鶴に判断をまかせることにした。
「……斎藤先生はどうしたいですか?」
千鶴の答えに、斎藤は心の中でうなずいた。
……まあ、当然そうくるだろう。斎藤でもわからなかったのだ、千鶴も当然わからないに違いない。ここは年上の自分がリードするしかないのだが……
「……風呂に入るか」
多分それが良いと思う。外をぶらついても結局『風呂をどうするか』という問題は棚上げのままだし、実際昨夜からの流れで疲れているのは確かなのだ。千鶴は夕べあのラブホテルでシャワーを浴びたがゆっくりとはできなかったし……まあこれも斎藤のせいなのだが。
体も冷えているしこれがベストだろうと、斎藤は腕組みをして頷いた。
旅館の部屋から二人して立ったまま風呂をずっと眺めている図もおかしなものだし、何か行動した方が良い。
「千鶴から入るといい。入りにくいだろうから俺は隣の部屋……いや、ロビーで土産を買っていよう」
「え…そんなせっかく……」
不意をつかれたようにこぼれた千鶴の言葉に、既に立ち去ろうとしていた斎藤は脚を止めた。
「せっかく……なんだ?」
「……せっかく一緒に旅行に来たのにって……」
「……」
千鶴は赤くなりながらもちらりと風呂の方を見て、斎藤を見上げる。
「……その、一緒に入るのとかは…いやですか?」
不意に襲われた眩暈に、斎藤はしゃがみこみそうになった。
 一緒に入る…いっしょに…イッショニハイル……
入りたいに決まっているではないか!しかし千鶴が嫌がるだろうと思い、気を利かせたのだ。そりゃあ可愛い彼女と初めての二人きりの京都旅行だ、お風呂に一緒に入っていちゃいちゃなんてしたくない男がいたとしたら顔を見てみたいくらいだ。
しかし斎藤にも体面というものもあるし大人としての理性もある。
 斎藤はコホンと咳払いを一つすると、極めてクールに返事をした。
「いや、嫌というわけではない」
「じゃあ……」
「お前が嫌なのかと思ってな。千鶴が嫌でないのなら……その、い、い、一緒にふろに入るのは俺は特にかまわないが」
後半どもってしまったしあやうくかみそうになってしまったが何とか言い切ることができた。
「嫌っていうより私は恥しくて…まだ明るいですし」
一緒に入りたいのか入りたくないのかどっちだ!と普通は問い詰めそうだが、できたてほやほやの甘々カップルは当然そんな展開にはならない。
「そうか、それは……困ったな」
「私が先に入っているので、斎藤さんは目隠しをして入って来てくれませんか?」
「め、目隠し?それは……目隠しをして服を脱いで風呂まで歩いて行くのは難しくはないだろうか」
裸でどこかにぶつかったり転んだりするのは想像しただけで情けない。
「じゃあどうしましょうか……」

 結局、千鶴が別の部屋居る間に斎藤が服を脱いで風呂に入る。そして目をつぶり千鶴を呼ぶ。そしたら千鶴は後から風呂に入る。斎藤は、千鶴から『目を開けてもいいです』と言われるまで風呂に浸かったまま目をつむったままでいる。という手順で入る事になった。
「千鶴?もう大丈夫だ、目はつぶった」
向こうの部屋から「はい」という少し遠い千鶴の返事が聞こえてくる。斎藤は妙に高鳴る自らの胸の音を聞いていた。

しかしこの『目をつぶる』というのは……なんというか余計に気持ちを煽ると言うか…

風呂と部屋の間の引き戸が開けられる音がして、斎藤は思わず生唾を飲んだ。
「あの……失礼します」
そう声をかける千鶴の恥ずかしそうな様子が目をつぶっていても伝わってきてたまらない。お湯が揺れる感触が風呂に入っている斎藤に伝わって来るのと同時に、すぐそばに千鶴の気配も感じて千鶴が同じ風呂に入ったのが斎藤にはわかった。
 緊張と照れと興奮と期待がすべて入り乱れまじりあい斎藤を襲う。いっそのことガバリと行ってしまいたくなるがそれをやって『獣のようだ』と千鶴にひかれるのはいやだ。だいたい昨夜だって散々……その、そういうことをしてきたのにまたこれだけ興奮しているなどと彼女に知れると、変態だと思われないだろうか。いやしかし千鶴だとて、一緒に風呂に入るということを提案した時点で、またそういうことになるということは分かっていると思うのだが。そもそも彼女はなぜ『一緒に入りたい』等と言ったのか。まさか本当に単に風呂に入るだけだと思っているのだろうか。
 一瞬の間に様々な思考が斎藤を襲う。
千鶴が恥ずかしそうに言った。
「あの…目をつぶっていていただいてありがとうございます。もう入ったので……」
「開けていいのか?」
「はい」
千鶴の返答を聞いて、斎藤は迷ったが正直に言っておいた方が良いだろうと思い目をつぶったまま言った。
「目を開けるとそういうことになるがいいのか?」
「そういうことって?」
「つまり……昨夜のような」
「えっ?今ですか?」
「…ああ」
「……」
露天風呂を妙な沈黙がつつむ。千鶴の返答はどうなのかと斎藤が唾を飲みこんだとき、恥ずかしそうな声が聞こえた。
「あの……斎藤先生がそうしたいんでしたら……」
ぱちっと目を開けた斎藤の目に飛び込んできたのは、薄いタオルがかろうじて隠している真白くてなだらかなラインを描く千鶴の体。斎藤の脳内はその視覚刺激に真白に染まった。何も考えられないまま手を延ばし千鶴を引き寄せる。千鶴は「あ…」と小さく声を上げたが、たいした抵抗もなく斎藤の胸に収まった。

 部屋風呂という問題は、こうして二人の協力によってクリアすることができた。
 部屋まで一品一品運んでくれるおいしい夕食が済んだ後、千鶴と斎藤はもう一度部屋風呂を一緒に楽しんだのは言うまでもない。             
夜はベッドが二つあったけれどももちろん一つのベッドに一緒に寝て。朝も隣で目覚める。
 千鶴は、斎藤は大人だし淡白なタイプなのかと思っていたのだが、意外にも甘えん坊だということがわかった。夜眠る時も千鶴を抱きしめたまま眠りたがるし、朝も夢うつつの状態で千鶴のおでこにキスをしたり髪を梳いたり。優しく甘い恋人同士の触れ合いに千鶴もうっとりととろけていく。

毎日ずっと寝るときも朝起きたときもこうしたいな

それくらい隣にある体温が心地よく、甘やかされるのが居心地がいい。                 
京都には一泊で、今日の昼過ぎに帰らなくてはいけないのだが、結局斎藤達はレイトチェックアウト(十一時)ぎりぎりまで部屋でいちゃいちゃすごし、ほとんど観光もせずに帰ることになってしまった。
「せっかく立てていた観光の予定が無駄になってしまったな。すまなかった」
せめて京都タワー(京都駅の目の前)だけでも行こうと、新幹線の時間までの少しの時間で展望室に上り、そこから京都市内の景色を見ながら斎藤が申し訳なさそうにそう言った。
京都に来る前にるるぶを買って、二人で行く場所を選んでいたのだ。西本願寺や池田屋など新選組に絡んだところに行きたいと予定を立てていたのだが、どれ一つ行けなかった。どうして行けなくなったのかについて思いいたると、千鶴は赤くなる。
「そんな…斎藤先生が謝ることじゃないです。私も…」
「……そうか」
二人で赤くなりながら京都タワーの展望室からの景色を見る。ずっと部屋の中でいちゃいちゃしてるだけなら、わざわざ京都まで来ることも無かったのではないかと思わないではないが、この旅の本来の目的は果たしたと言えば果たした。
斎藤はつないでいた千鶴の手に力を少し入れた。
「観光は……次回だな」
「次回ですか?」
「そうだ、また二人で来よう」
「…はい」

斎藤の言葉に、千鶴の胸の中に幸せな暖かさが広がる。
何気ない未来への約束がこんなに嬉しい。     
これからたくさん、たくさん約束をしよう。
斎藤と二人の未来に、楽しい事がいっぱいあるように。




2013年5月12日
掲載誌:Dr.斎藤



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